□自分の想像力の勝者となる
世の中には飛び込んでみないと分からない世界が沢山あります。
と、いうより飛び込んでからでないと分からない世界が殆どです。
その点から見ると起業本や自己啓発本で信じれば道が開けるや思いは実現するという言葉は嘘ではありません。
と、いうのも大多数の普通の人は飛び込む前からその飛び込んだ後を自分勝手に想像してしまい行動できないからです。実はこれは、自分の想像力に負けてしまったことを意味します。
一方、起業本や自己啓発本の筆者は大抵の場合、この飛び込む経験をしており、その結果、成功の果実を手に入れております。
これは人は自分の行動を決定できるのは自分だけでしかなく、物事を肯定的に捉えるポジティブ思考の人にとっては自分がこう考えたから実現できたと受け取るからです。
そしてこれにより自分の想像力の勝者となるのです。
これを思いこみといってしまえばそれまでですが、思い込まなければ始まらないという方が実は真理なのです。
催眠術はこの思いこみ・・・つまり暗示の力を利用して、相手の腕を挙がらないと思い込ませたり、嫌いな食べ物を大好きなものと思い込ませるのです。
これをちょっとカッコつけて思いは必ず叶うと起業本や自己啓発本の筆者は語ります。
大半はそれなりに成功している人が本を書いていますが、中にはペテン師に近い方もいます。とはいえ、少なくとも出版まで辿り着いた時点でこの言葉を体感しており、本を出すという思いが叶ったといわれたら突っ込みようがないので嘘とも言い切れません。
ま、あのての本はその先にビジネスモデルがありますので触れませんが、思いは叶うはまるっきりの嘘ではないのです。
そしてその思いも、飛び込んでみないと叶うことはありません。
|
自分の想像力の勝者となる|
ボロボロの身体に訪れた転機|
30目前、子持ち無職のリベンジ|
突然訪れたチャンス|
ページトップへ|
レポートトップへ|
□ボロボロの身体に訪れた転機
今、足立技術専門学校を始めとして、東京都内の公的職業訓練校の講師をしている第一種電気工事士の田沼雄二先生は数年前まで飛脚のマークの大手宅配事業系列で大型トラックの拠点間ドライバーとして大型トラックを転がしていました。
それが今では施行現場での実戦をベースにした、飾らない口調で進める講義が評判を呼び、人気講師の一人となっています。
この田沼先生の転機は体調の不良でした。
180cmを越える頑強な体躯に恵まれていた田沼先生ですが、ドライバーという腰が固定される労働と、コンテナを押し込む重労働が身長の割に細い腰を蝕んでいきました。
腰痛は日々悪化していきましたが、月額60万円を超す安定収入と奥さんと子供の生活を考えるとガマンするより他に道はなかったと、田沼先生は当時を振ります。
しかし、遂にそのガマンは限界に達しました。
ついに、座ることも困難になってしまったのです。<
会社は営利目的集団である以上、稼げないものをいつまでも雇っているわけにはいきません。
田沼先生も職場での立場と、自分の体調を考えた結果、退社することを決意しました。
・・・残酷なようですが、これが社会です。そしてこのことが田沼先生の人生を変えたのです。
|
自分の想像力の勝者となる|
ボロボロの身体に訪れた転機|
30目前、子持ち無職のリベンジ|
突然訪れたチャンス|
ページトップへ|
レポートトップへ|
□30目前、子持ち無職のリベンジ
この時、痛めた腰は何とか日常生活はできるぐらいには回復しましたが、もうドライバーは難しく、かといってその他に取り立てて特技はありませんでした。
30を目前として子持ちの無職です。
普通ならここであわてて就職することでしょう。
例え納得しなくてもまず目先の仕事に飛びつくのが普通の感覚だと思います。
しかし、田沼先生はここで公立職業訓練校の電気科に入学しました。
公立の職業訓練校の場合、卒業までは失業保険が支払われるという打算がなかったといえば嘘になるとご本人が仰っていました。
そして幸運も味方したのです。
職安に失業の手続きに行った際に、この職業訓練校の話しを知りましたが、なんとその日が1年制職業技術専門校4月生の受付最終日だったのです。その数時間で電気の道を決断したのです。えてして運命とはこういったものなのでしょう。
一年間、学生に逆戻りです。
まわりは一回り近く年下ばかりの環境でモチロン卒業したからといって仕事が保証されているワケではありません。
しかし、自分のガラスの腰を考えた時に、自分の腕で稼げる仕事がしたいと決めたのです。
実は田沼先生は大型ドライバーになる以前、電気店で修行しておりました。しかし、雇い主との給与トラブルで退社を余儀なくされ、その反動もあり金の稼げる大型ドライバーを選んでいたのです。
つまりこの決断はリベンジだったのです。
そしてその時は意識してなかったのですが、田沼先生は願いは叶う、願わなければ叶わないを実戦していたのです。
まず、入学に当たりトップで卒業するを目標に掲げました。
当時を振り返ってまわりは小僧、私は大人。10年以上のハンデをこちらは背負ってますから、一位通過が最低条件だと思ってました。と語ります。
結果は・・・モチロン、一位通過、首席卒業です。
|
自分の想像力の勝者となる|
ボロボロの身体に訪れた転機|
30目前、子持ち無職のリベンジ|
突然訪れたチャンス|
ページトップへ|
レポートトップへ|
□突然訪れたチャンス
この成績と授業に対する真剣な取り組みと本人の人受けする人柄が、思わぬ副産物を産み出しました。
それが講師だったのです。これは当時、異例の出来事でしたがそれも田沼先生の願いが生んだ副産物です。
しかし、あくまで電気工事士としての独立を考えていたので、現場にも積極的にでられる職場を見つけていずれは独立と、工事現場で腕を磨き講義で知識を深めていったのです。
田沼先生は3年後に独立と願い、そしてなんとなくですがそう決めていました。
これは巡り合わせと運命・・・モチロン、それすらも自分が選んできた結果なのですが・・・どうにも職場には恵まれないようで、電気工事士として就職した先が廃業したりトラブルに巻き込まれたりとなかなか安定しませんでした。
そんなときある会社から声をかけられました。
田沼さん、一人でやってみません?田沼さんにならこちらも安心して仕事をお願いできるんですよね。
トラブル続きには(彼のせいではないのですが)ありがたい言葉です。
とはいえ、ある程度の現場で実戦を積みそれなりに自身は深めていたとはいえ、一人でやっていくのには勇気がいりました。
しかし、田沼先生にとって独立はもう決まったことでした。
ならばそれが早いか遅いかだけのことだったのです。
そして立ち上がれないぐらいに腰を痛めてから3年後、電気工事士として独立したのです。
自分修行中と自らを律し品質の高い仕事ができる現場を選んでいる為、ボロ儲けとはいきませんが着実にその仕事の幅と知識と経験を深めています。
先日も請われて台湾の現場へ行ったりと、国内はもとより海外までその活躍の場を拡げております。
また、講師の依頼も増えてきておりますが、今は実戦を優先したいとの思いから、現在は個別の講師依頼は空き待ちという状態になっております。
田沼先生のケースはゼロから始めても願えば叶う好例でしょう。
何の保証も見返りもない電気の世界に飛び込みました。
まわりの同級生は高校を卒業した子供達ばかりの異世界です。
しかし、田沼雄二先生は飛び込んだのです。
そして想像よりも早い電気工事士としての独立と講師というオマケまで手に入れたのです。
田沼先生はこれは通過点だと言いきります。
そう、田沼先生の思いはまだ遙か先にあるのです。
見えない先を考えるのも必要ですが、考えすぎるより決めてしまって行動すると意外と簡単に見えたりするのです。
有限会社 アズモード 代表
マーケティングプロデューサー 宮脇 睦
(みやわき あつし)
セブンイレブンとダイエーに見る営業戦略
安売りや特売は大変危険です
起業成功確率を上げる方法
人気講師誕生秘話
|
自分の想像力の勝者となる|
ボロボロの身体に訪れた転機|
30目前、子持ち無職のリベンジ|
突然訪れたチャンス|
ページトップへ|
レポートトップへ|
|